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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

夜離れ(5)
※相変わらずの青空文庫形式です※
夜離れ(5)

 水場に置かれた洗い桶に貼られた水の表面を、蛇口を伝って滴が揺らしている。その都度生じる小さな破裂音に、まるで心地よいクラッシック音楽宜しくゆったりと聴き入りながら、シュウはサイドテーブルの上にある灯火器《ランプ》の仄かな灯りだけを頼りに、書物を読み進めていた。さりとて、その頁は一向に先に進む気配を見せていなかったが。
 気が昂っているのだ。
 今更に過去を改めて振り返りたいとは思っていなかったけれども、あのやんごとなき世界に関わる話を耳に挟んでまで、心が騒がずにいられないほどシュウは過去を忘れて生きていなかった。己の人生に始端と愁嘆を定めるとしたら、その始まりの記憶は王家とともにある。数多の人間にとっての常識が通用しない世界で、頼りとなる守護者を持たなかった自分がどれだけの辛酸を舐めさせられたことか……とはいえ、現在の己の境遇が王家によって与えられたものであると思ってしまうほどに、青臭い理想論に傾倒はしない。私怨で世界に仇名す愚かさをシュウは知ったのだ。けれども、王族に生まれついていなければ、現在の自分がいなかったのは変えようのない事実。
 暗い過去の記憶。シュウはそれを忘れ切ることは出来そうになかった。
 染みついた王族としての立ち居振る舞いや、王家だからこその慣習は、ときにかつての王太子であった自分を縛る。情報を入手する為に紛れ込むことの多い貴族社会にしても、その身を隠す為に過ごさなければならない一般社会にしても、己を平等に彼らの中に埋没させてはくれなかった。決して王族を離れたことを後悔してはいなかったけれども、王族以外としての環境で上手く生き抜けない窮屈さに、シュウは未だに上手く馴染めずにいた。そう、結局のところ、一般社会でシュウを不足なく生かしてくれているのは、王族時代の人脈なのだ。
 梁の上。口煩い使い魔《ファミリア》は、物煩いに耽る主人に大いに物思うところがあるようだ。時折、顔を覗かせては、こちらの様子を窺っている。
 誘惑は限りない。
 血脈だけを累々と伝えていくだけのお飾りを王家でいいと言うのであれば、王位の継承権にその血の濃さ以外は必要ない。増え過ぎた血族は、やがて争いを生む。ならば能力の大小に関わらず、最低限の実務能力さえ有していれば、その血の濃さだけに王位継承権の順位を限った方が、永代に渡って恙なくその血が受け継がれてゆくことだろう。その王家になんの役割が期待されるのかは不明ではあるが。
 しかしこの共和制に生まれ変わっても廃止されなかった王族という制度は、彼らにとっては幸いというべきか、血の濃さだけを求められてはいなかった。それ即ち、調和の結界の維持――ラングランがラ・ギアス最大国家として、地底世界の頂点に君臨し続ける為には、外敵を弾ききれるだけの調和の結界の維持が不可欠だ。だからこそ、ラングランの王族は一定数を保っていられるのだろう。
 求められる魔力に比例しない数を。簡単な遺伝の法則だ。
 強大な魔力を有する元王女が、今更に求められているのも、だからだ。新王と新王妃の噂話《ゴシップ》は貴族社会に蔓延っている。夜伽が耐えて久しいだけではない。それぞれの従者に夢中でお互いと向き合う時間がないらしい、だの……お互いが異性を愛せないからこその成婚だったのではないか、だの……中には王家に快い感情を抱いていないシュウですら、眉を顰めずにいられないものもあった。
 それにしても歳月が過ぎるのは早い……シュウは思う。血の繋がりを濃くした新王と新王妃が、国民の狂乱的な祝福を受けて婚儀を行ったのをつい先日のことのように思い出せるのに、その豪華絢爛なセレモニーの数々ももう三年も昔のことになってしまったようだ、と。
 若さの盛りが日々過ぎて行こうとしているのを、相対的な時間の流れが早まっていることから、シュウは感じ取っていた。そして自分を取り巻く環境に思いを馳せる。このままでいい筈がないと。
 モニカを自らの手元にシュウが置いておこうと思ったのは、決して彼女の一途な情熱に絆されたからではなかった。父王アルザールをも凌がんとしていた膨大な魔力量は、あのまま王室に置いておけば、必ずやシュウの障壁となってその目的を阻んだだろう。
 戦場に限らず、人生においてもそうだ。他人を一度も踏みにじらないなどと言う青臭いロマンティシズムなど、理想を語る以外に何の役に立つだろう。そのぐらいのこと、シュウに及ばず、事情から来たあの善良な魔装機操者たちですら知っている。
 モニカとて元王族。その教えは受けている。理想だけで国民は生きてはいけない。彼らを生かし続ける為には、リアリティのある理想が必要なのだ。
 そう。それは国民に限らない。そろそろ自分たちにもリアリティのある理想が必要なのだ。
「……ご主人様、そろそろお休みになられては」
 梁の上から、声。
 頼りなくも、震える声。
「灯火器《ランプ》の明かりが目に障りますか?」
 問えば、いえ、それ以上に――と、彼女は言った。「ご主人様の精神の流れが、あたくしの感情をも昂らせるのです」
 シュウは哄笑《わら》った。残酷に、声を殺して。
 チカという忠実なる下僕《使い魔》一匹と、長く放浪の旅を続けてきた。彼女は全てを打ち明けられるパートナーではなかったけれども、ときに孤独から生じる寂しさを和らげてくれる程度には、信頼を寄せられる自らの分身だ。
 だからこそ、彼女はシュウを裏切れない。残忍なる主人の使い魔であることに快絶を感じてしまっている彼女には。
 ならば何を躊躇う必要があるだろう。シュウは声を立てずに笑い続けた。自分を踏みにじった王室という世界に、最大の復讐を――シュウの心は決まったのだ。


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