※相変わらずの青空文庫形式です※
※そろそろ折り返しかも※
※そろそろ折り返しかも※
夜離れ(7)
「お待たせ致しました、マサキ様」
靴音が二つ。僅かに音をずらしながら、マサキの方へと近付いてくる。ゆったりとした靴音が、エリザの言う主人のものなのだろう。それがマサキの休んでいるベッドの脇で止まる。
「王立軍への連絡と手配は済んでおります。直ぐに回収に向かうとのことでしたので、先ずはご安心くださって宜しいかと」
「手間をかけるな」
「お気になさらず。他国よりの幾度の侵攻を防ぎ切ったお方にございます。この程度はご恩返しの内にも入りません」
せわしない靴音が室内を動き回っている。恐らくはこちらがエリザのものなのだろう。靴音の動きに呼応するように、声が距離を変えてゆくのをマサキは耳にしていた。
召使らしいきびきびとした靴のリズム。それがマサキから少し離れた場所で、一旦、止まった。キィ……と木製家具を引くような音がした。音の大きさからして、小卓か椅子といったサイズの家具だろう。カツン……カツン……幾分、スピードを落とした靴音が、次第に距離を詰めてくる。
ゴトン。
ベッドに身を起こして、耳で様子を窺っていたマサキの脇に、それは置かれたようだった。予想していたことだったとはいえ、自分の置かれている環境が目で確認できない状況は、マサキを思った以上にナーバスにしていたようだった。
肩が震えた。思いがけずの音の大きさが、神経に障ったのだ。
「失礼致しました。椅子にございますので、ご安心くださいますよう……ご主人様、こちらに」
すう、と空気が動き、キィ……と椅子が鳴った。この別荘の主人とはどういった風体《ふうてい》のどういった人柄の人物なのだろう……マサキは考える。別荘を所有しているくらいなのだから、金満家には違いない。
彼らが好ましいといった感情だけで、魔装機操者に近付いてはこないことをマサキは知っている。兵器に関わる金銭的な利害関係、戦争責任に関わる政治的な利害関係。マサキは難しいことはわからなかったけれども、そうしたデリケートな問題が、彼らの態度をよりセンシティブなものとしていることには気づいていた。
「では、これからご主人様がマサキ様の目を診させて頂きますが、ひとつだけ、お約束願いたいことがございます。ご主人様が誰であるかといった詮索はしないで頂きたいのです。貴族社会には派閥がございます。あまり魔装機に深入りをしていい交友関係を、ご主人様はお持ちではございませんので、どうかその辺りをお含みおき頂けますよう」
「それだったら軍に丸投げしてくれればよかったものを」マサキは苦笑する。「迷惑をかけるのは性分じゃねえ」
マサキがそう愚痴った次の瞬間。明らかに女のものではない、幅広の骨ばった滑らかな手が、マサキの手を取った。そして手のひらを上に向けさせると、指が文字を描く。声すら聴かせないとは、余程の大物貴族の登場か……マサキは喉を鳴らして、唾を飲んだ。
『初めまして、マサキ=アンドー。この国も守護者として君臨する風の魔装機神が操者。私のことは、あなたとでもお前とでも好きに読んでください』
上流社会の人間の手は、いつだって手入れが行き届いている。長年、剣を握り、コントロールパネルを叩き、そして掃除や洗濯、料理といった水仕事に手を付けざるを得なかったマサキの節くれだった手とは違う。
キメの細かい手、柔らかい肌。指の節が太くなければ、女の手と言われても信じてしまいそうだ。懐かしい――マサキはよく似た手を思い出す。貴族連中の手を見る度に思い出していたあの手。感傷に浸っているのだろうか。よく似た手の温もりに、思わず握り返したくなる衝動に駆られて、マサキはそれを封じ込めた。
「先ずは助けて貰った礼を言う。あのまま行き倒れずに済んだのは、あんたたちのおかげだ。感謝している。早速だが、俺の目はどうなっている? 見た感じ、治りそうではあるのか?」
「マサキ様が倒れておられましたのは、この別荘の奥にあります廃鉱に続く、かつての街道でした」主人に代わってだろう。状況説明とエリザが言葉を紡ぐ。「今となっては、この別荘を使う方々しかお通りにはなられません道ですので、ご覧になられた通り、荒れ果てた獣道のようになってしまっておりますが」
「整備はしないのか。普通の野原や林にしか思えなかったが」
「管理はしておりますが、稀に訪れる程度の別荘です。その程度の頻度でしか利用しない別荘に続く道として整備するには、資金的な問題が」
「ああ、成程」
マサキは|風の魔装機神《サイバスター》から見下ろした辺りの景色を思い出す。点々と小さな集落が点在するだけの、豊かな土壌に対して人の寂れた土地。人口に対して国の面積が広いラングランには、そういった土地も多い。
「マサキ様の近くには、石灰石のような粉が散らばっておりました。顔にも付着しておりましたので調べてみましたところ、主に軍で使用されている視神経を麻痺させる目潰し用の薬剤と判明しました。通常は水に溶いて噴霧するのですが、時間がなかったのか、それとも使い方を知らなかったのかわかりかねますが、原末を撒かれたようです」
「大方、軍の連中が小銭稼ぎに横流ししやがったんだろう。管理が甘いのはいつものことだが、だからこそ、書類だけで済まさずに現地調査を入れろって言ってるんだがな。まあ、起こっちまったことは仕方がねえ。回復にはどのくらいかかるんだ?」
「本来でしたら、数時間とのことですが、原末が直接目にかかってしまっているので……もしかすると数日かかるかも知れません。急ぎ、視神経に作用する点眼を手配しておりますが、あまり使われることのない薬ということもあって、こちらに届くのには時間がかかりそうです。恐らくは、マサキ様の目が見えるようになるのが先になるかと」
「この目潰しに副作用はあるのか?」
「それにつきましてはご主人様からお話しをさせて頂きます」
予め、主人から話を聞かされていたらしいエリザが答えられるのは、どうやらここまでのようだった。節の太い柔い指がマサキの手のひらの上で動き、その言葉を伝える。
『多少の視力の低下が起こる可能性はありますが、重篤な視力障害は今のところ報告されていません』
「なら、いい。それだけで済んだのなら御の字だ」
『今度はこちらから質問をしても宜しいですか』マサキは頷いた。『どういった経緯であの状態に?』
そして主人に問われるがまま、これまでの経緯を話す。廃鉱狙いと思われる賊を発見したこと……彼らを深追いした結果、目潰しを目に浴びてしまったこと……主人もそれに応じるように、この地方が抱える事情をマサキに話して聞かせる。共和制への移行によって、領主制度が崩壊したこと……それに伴って、この辺りの土地の所有権が宙に浮いてしまったこと……鉱山が廃鉱になってしまったのは、資源が採掘されなくなったからではなく、管理できる人間がいなくなってしまったからだということ……その結果、ときに廃鉱の数々が賊に荒らされてしまうことがあること……その見回りに、こうして偶に、各地にある前領主の別荘を訪れていること……紙を使わない筆談は時間がかかったけれども、お陰でマサキにはわかったことがいくつもあった。
戦争の爪痕はこうして深く残り続けるものなのだ。
「話を聞くに、放っておいても治るものなんだよな。だったら王都に送り届けて貰えると有り難いんだが」
セニアに報告しなければならないと思う。ただの賊退治が、軍の腐敗をあぶり出し、土地の管理問題にまで発展してしまった。急ぎ、現状を改善して貰わなければ、今回の被害は自分で済んだものの、一般人に及ばないとも限らない。
しかしそれをこの二人は快く思っていないようだった。
「ここから王都に戻られますには、陸路で十日はかかります。私どもは魔装機の運転はできかねますし、軍にマサキ様のことを連絡しますと、ご主人様の交友関係に問題が起こらないとも限りません。事を大袈裟にしない為にも、暫くご逗留頂けますと幸いに存じるのですが」それに、とエリザが続ける。「マサキ様はこの国をお守りくださった守護者。ご恩返しは勿論のことにございますが、ご主人様はその話が聞けるのを楽しみにもしておられます。どうかその願いに応えては頂けないでしょうか」
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