忍者ブログ

あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

夜離れ(9)
※相変わらずの青空文庫形式です※
夜離れ(9)

 そのときに軽く聞き流していた言葉を思い出しては縋ってしまいたくなるのは、六か月が経っても経ちきれない未練からなのだ。
 以前と比べれば、格段に心が騒がなくなった。それでも一人寝が堪えるときがある。
 治ると言われているとはいえ、目が見えなくなってしまったことが、マサキの心を弱くしてしまっているのだろう。賑やかなゼオルートの館にあっては、右に左にアンテナを張り巡らせていれば、まだ自分の気を逸らしてくれる話題や目を引く光景があった。それですら、ある程度思いきるには時間の経過が必要だったものを、しんと静まり返った別荘とあってはそれもなし。否応なしに自分の未練と向き合わされてしまうとあっては、マサキの神経とて高ぶってしまうに違いないではないか。

 ――あなたがいい。

 どうせいつもの気紛れだと聞き逃さずに、どういう意味かを問い質せばよかった。そんなあの男の言葉は沢山ある。
 おはようございます、というエリザの声に目を開く。いつの間にか朝を迎えていた。カーテンを開く音。小気味よく。相変わらず視界は闇に覆われていたものの、幾分、その色を薄くしているようにしているように感じられた。
 気を失ったも同然の行き倒れだったにせよ、身体を休めた時間があった分、寝付けない夜を過ごすこととなった昨夜《ゆうべ》……マサキはのそり、とベッドの上に身体を起こし、そっと床に一歩を踏み出そうとした――ところでエリザの細い腕に捕まった。
「お待ちください。その眼で動き回るのは、いくら勘のよろしいマサキ様でも無理があります」
「すまない。ベッドの上にいつまでもいると、身体がなまりそうでな。昨日、少し動いて部屋の造りが少しわかったし、大丈夫かと思ったんだが」
「では、そちらのソファに参りましょう。直ぐに朝食をお運びしますので、それまでそちらでお待ちいただければ」
 思ったよりも広いらしい客間。ゼオルートの館で言えば、ダイニングに相当するだろう。流石は先の領主が所有していただけはある。その広い客間を、エリザの腕ひとつを頼りに歩き進める。
 ソファに身を沈めて、マサキはほうっと息を吐く。たったこれだけの距離の移動ですら、今の自分には大冒険だ。そのまま部屋を出て、朝食を運び込みに来るだろうエリザを待つ。柔らかい午前の光が降り注いでいるのを肌で感じながら、暫し。
「お待たせいたしました」
 カラカラ……と車輪の回る音にコツ……コツ……と重なる靴音。
 鼻をつく匂いに、まさかと思う。
 海苔の匂い。地底世界でも海産物として扱われているのは知っていたが、ラングランの人間が積極的に料理に使っているのを見るのは稀だ。その使われ方にしても、せいぜい野菜と一緒にチーズと巻いてみせる程度のもの。だのに一緒に匂ってくるこの香りは……マサキの戸惑いを感じ取ったのだろう。エリザが言う。
「おにぎりとお味噌汁をご用意させていただきました」
「……これは驚いた。まさかおにぎりと味噌汁とはな」マサキは笑った。異なる食文化を持つ彼らからすれば、豪勢な料理よりも余程のもてなしに違いない。「この辺りでは一般的なメニューなのか?」
「昔、ラングランで流行ったことがあるのだそうです。恐らくはマサキ様と同じ国から迷い込まれた方だと思われます。その方がその際に伝えられたものだと。どうぞ、お皿はこちらに」
 テーブルの上に皿が置かれる音。エリザに手を導かれながら、マサキが恐る恐る指を伸ばせば、指先に触れる濡れた海苔の感触。久しく食べていないとマサキは思う。
「色々と手間をかけるな」
 食べないのも手間をかけるだけだと、マサキは思い切っておにぎりと思われる物体を掴んだ。三角形。思った以上に綺麗に握られている。口に含むと、中には香ばしく焼かれた鮭がぎっしりと詰まっていた。
「一番美味しいのは梅干を使ったおにぎりだと伺っておりますが、この国では流通しておりませんので……いかがでしょうか? 故郷の味とは比べ物にはなりませんでしょうが」
「充分だ。懐かしいものを口にさせて貰った」
 並ぶおにぎりに手を伸ばす。鮭、いくら、たらこ。これだけの具を、温暖な気候が常のラングランで、この短時間で揃えるのがどれだけ難しいことかをマサキは知っている。ときに無性に食べたくなったときに、ミオと手分けして城下街を奔走しなければ手に入れられないほどなのだ。
 そうでなくとも集落の点在しているだけの領地だった筈だ。
「先の大公妃はご存知でいらっしゃるでしょうか?」
「大公妃?」
 自分が見落としているだけで、実際には交易が行われているような大きな街があったのだろうか……それにしても夜通し馬車を走らせなければ、こうは手際よく具材を揃えられないだろう。
「いつぞやの大戦で謀反を起こしたとされておられる元大公子のご生母にあらせられます」
「ああ。話は聞いたことはあるが、その程度だ。後は俺と同じ国の出身だったことぐらいか」
「私もまだ幼かったものですから、また聞きですが、先の大公様とのご成婚の際には国を挙げてのお祭り騒ぎになったとのことです」
 あの男の犯した罪が罪だ。王宮に出向いたところで、マサキたちが聞ける話は少ない。ときにそっと耳打ちしてくれる者もいるにはいたけれども、それだって要領を得ない話が殆どだった。
 恐らくは地上人蔑視の風潮が、その身を襲ったのだろう。判然としない話の欠片を集めてみるに、彼女はやがて夫からも疎まれるようになっていったようだった。恐らくは、大衆にマサキたちが受け入れらているのと同じ道理で、彼女もまた大衆に迎え入れられたに違いない。そして同じ道理で、マサキたちと同じように、彼女もまた貴族たちからは弾かれたに違いない。
 しかし、頑健なる精神が誇りのようなあの男が、自制心をままならなくするほどに世を恨むとは、どれほどの絶望だったのか。言葉にすると簡単な表現にマサキは思う。その時間に自分たちがいれば、何かを変えられただろうか、と。
「そのときに流行ったって?」
「そう伺っております」
 幾度目の自問自答を打ち消して、マサキはエリザに向き直る。時間を巻き戻したり遡れる技術は、いかに練金学が隆盛を誇り、呪術が跋扈するラングランにもない。そうである以上、過去を悔やんで見せたところで、それはただのポーズでしかないのだ。
 しかし、もしや、とも思う。
 自分たちとの付き合いで、未来を見据え始めたかに思えたあの男は、結局のところは何も変わっていなかったのではないかと。


.
PR

コメント